石州の茶の湯とは

石州の茶の湯は、千道安(千利休の長男)の流れを汲む桑山宗仙から学んだものと伝えられています。利休本来の茶の湯の精神を継承しつつ、
時代の流れである武士中心の世の中に調和させた「分相応の茶」を説いたことが、将軍家をはじめとして諸大名達に受け入れられることとなり、広まっていきました。
石州に茶の湯を学んだ人物としては、徳川四代将軍家綱・水戸光圀・堯然法親王・松浦鎮信・藤林宗源・清水動閑・大西閑斉・保科正之・怡溪宗悦・野村休盛などが挙げられます。
彼らがさらに全国各地へ石州の教えを広めたことから、後に茶道ができてからは「石州流」となり、現代では怡溪派・清水派・鎮信派・伊佐派・宗源派・嘉順派・大西派・大口派・
古石州・宗猿派・不昧派・野村派・林泉寺派・古閑堂派など多くの派に分かれ、それぞれに伝えられています。
これらの各流派を総称して「石州流」と呼ばれています。

創始者 片桐石州について
慶長10年(1605) 伯父片桐且元(画像)の城下、摂津茨木で片桐主膳正貞隆の子として生まれる。
寛永元年(1624) 石見守に任命される。
同4年(1627) 父貞隆の逝去により遺領を継ぎ、一万三千四百石の大名となる。
同10年(1633) 京都知恩院修復作事奉行に任命される(同18年迄)。
同15年(1638) 大徳寺山内に高林庵を建立。
慶安4年(1651) 当麻寺中之坊に茶室を造る。
寛文3年(1663)  慈光院建立。
同5年(1665) 徳川四代将軍家綱の茶湯指南となる。
同6年(1666) 仙洞御所の庭園を完成させる。
延宝元年(1673) 11月20日逝去